作成
更新
ローカル線廃止について思うこと
最近では地方のローカル線が廃止になるというニュースは毎年恒例みたいになっている。
特急「おおぞら」から振り子式のキハ283系引退 計7駅の廃止も JR北海道方針
特にここ数年は、災害によって運休となり、そのまま廃線となるようなケースもみられる。
たいていの場合、沿線の自治体は廃線に反対する。学生やお年寄りなど、鉄道がなくては困る人が一定数いるのだ。
地方出身者として、このようなニュースを見ると、その地域の人々が受けるであろう不便さがイメージでき、残念な気持ちになる。
幸いにも、私の出身地域では近年廃線となった路線はないのだが、仮に車を持たない学生時代に同じ目にあっていたとしたら、通学はとてもしんどかったと思う。
このような同情を抱く反面、各地でローカル線がなくなっていくことに対して、ある意味仕方ないとも思っている。
仕方ないと言うのは、地方で人口減少が起こっていることを指して言っているのではない。主に以下の点を指している。
- 行政がいまだに車社会を前提とした街づくりを行っている。
- ローカル線沿線の人々は、利用者減少に対する当事者意識がかなり薄い。
一つ目については、首都圏などの都市部と、地方の両方に住んだことのある人であれば、理解されやすいと思う。
そもそも、地方の街づくりはいまだにロードサイド中心であり、車がないと日常生活を送ることがとても困難となっているのである。
車がなければ、スーパーにもドラッグストアにも行けないのだ。驚くべきことに、市役所・図書館・市民会館など行政施設をわざわざ駅から離れたところに作っているケースもある。
このような街では、生活していくうえで鉄道を使うことはとても難しい。
そして、二つ目だが、このような行政の街づくりをさせているのは、他でもない住民である。
生まれた時から車社会にどっぷり浸かっており、駐車場がいかに広く止めやすいか、幹線道路からのアクセスがしやすいかという点が、施設への評価として相当のウェートを占めている。
そのような地域で育った人は、歩いて駅にアクセスでき、目的地まで鉄道で行けるような場合であっても、自動車で移動することが多い。
車を使わないのは学生か老人だが、後者については高齢まで免許を手放さないケースが多く、仮に車を手放したとしても歩くのにも不便が多いため、身内に送迎を頼んだり、タクシーを呼んだりすることが多い。よって地方では主な利用者は学生となる。
しかし、地方では子供の数が減っており、大人も鉄道に乗らないため、需要は先細りする一方である。
住民は廃線の議論が起こって初めて慌てるのだが、なるべくしてなったとしか言いようがない。利用者減少は、一定程度は自分たちで招いた現象なのである。国鉄末期から今日までこのようなケースはいくつもあり、国も地方も財政難である。利用されない路線は廃止になるというのは、至極当然なのだ。
どうすればこのような状況を解決できるだろうか。
一つは、駅を中心にしたまちづくりを進めることだと思う。
ローカル線沿線では、しばしば駅周辺は田んぼだらけという状況を目にする。周辺の幹線道路沿いは高規格の道路が周辺まで整備され、商業施設等も充実しているにもかかわらず、だ。
このような地域であれば、駅周辺の道路環境の改善や、公共施設の集約等を再検討することで、駅は再び人が集まる場所となり、鉄道利用にも好影響を与えるはずだ。
コンパクトシティ、という言葉はこうした政策を包含する概念であり、すでに様々な地域で検討されているが、重要度を高く設定している自治体はさほど多くないように思う。
また、子供たちに鉄道の利用を促進・啓発するような教育を行うことも効果的だろう。
鉄道が、車を持たない層を含む幅広い人にとって、かけがえのない交通手段であること、利用者が減れば昨今の財政難では維持できないないこと、CO2消費が少ないエコな交通手段であること等を、分かりやすく説明することができれば良いとおもう。
そもそも地方では、車を持ち、車で移動することが一人前の証であり、鉄道はそれを持たざる者が仕方なく使うもの、みたいな潜在意識が根付いている。家族連れで鉄道で移動すれば、変り者扱いされる場合すらある。
鉄道で移動することが地域のため、環境のためという価値観が広まれば、地方での鉄道への見方も変わり、利用増加に貢献しうるだろう。